鈴木敏夫 略歴
1938年(昭和13年) 3月 平壌府八千代町21番地で生まれ、
若松公立国民学校に学ぶ。
2年生の時、終戦を迎え、1年間苦労したのち、38度線を
越え、内地 (宮城県本吉郡鹿折村)に引き揚げる。
以後、気仙沼中学、気仙沼高校を卒業し、東京学芸大学に学ぶ。
卒業と同時にPL教団教校一期生として、教師を拝命する。
教校一期生の時、PL小学校が創立され、教諭として赴任する。
「一年間、やってみよ」とのことであったが、三十年を経て、
1992年 (平成4年) 5月30日、54歳の時、脳溢血で倒れる。
これで死んだはずであったが、九死に一生を得て、
1994年4月、小学寮の寮長として復職。
1997年4月、PL学園小学校の校長を拝命。
2004年3月5日、65歳の時、2回目の脳溢血を経験するも、3か月で退院して職場に復帰。
2011年3月、73歳までPL学園小学校の校長を務めた。
2011年4月、PL学園を離れ、総合事務所に勤務。
2021年8月、83歳、妻の手術に伴い、サービス付き高齢者向け住宅「花笑み」に入所