処世訓解説 2014年

『人生は芸術なり』

『名に因って道がある』

『人生は芸術なり 二』

『名に因って道がある 補遺』
『人生は芸術である 三』 『男性には男性の、女性には女性の道がある』
『人の一生は自己表現である』 『世界平和の為の一切である』
『表現せざれば悩みがある』 『世界平和の為の一切である 補遺』
『自己は神の表現である』 『一切は鏡である』
『感情に走れば自己を失う』 『一切は進歩発展する』
『自我無きところに汝がある』 『中心を把握せよ』
『一切は相対とある』 『常に善悪の岐路に立つ』
『日の如く明らかに生きよ』 『悟る即ち立つ』
『人は平等である』 『悟る即ち立つ 補遺』
『人は平等である 補遺』 『物心両全の境に生きよ』
『自他を祝福せよ』 『真の自由に生きよ』
『一切を神に依れ』  
  『PL処世訓アラカルト』
  『PL処世訓アラカルト 二』
  『PL処世訓アラカルト』
  『PL処世訓、アラカルト』

 

『人生は芸術なり』  十月三十日

「人生は芸術である」という二代教祖様の悟りは全世界に広まり、今や、右を向いても左を向いても、芸術が一般的になっていますが、芸術とは何か高尚なもので、芸術家以外は使ってはならない、という風潮から、実生活こそ芸術だという時代になりつつあります。今更人に教える必要などはないので、自分自身のためだけの、PL処世訓解説を試みてみたいと思いました。

今朝、ベットの上で、第一条だけで何日もかかるなあ、長くなると打っている家内が「つまらない」と言って寝てしまうなあ、と思いを巡らしていましたら、家内が「水を飲みますか」と寝室に入ってきました。最近では、五時頃に、目覚めて私に金剛水を持ってきてくれるのです。その金剛水が冷たすぎないように、お湯で飲みやすくしてあるのです。「これはありがたい、うまい」と少しオーバーに褒めて、家内を教育ました。

「してみせて、やらせてあげて、その後で褒めてやらねば人は育たず」という言葉は、連合艦隊司令長官だった山本五十六の言葉ですが、小学校の先生の頃、生活指導主任になって、生活指導の勉強のために東京行きの許可を頂いたことがありました。一人で東京に出張して、東京都庁に大学時代の恩人、都丸修先生をお訪ねして、東京都内で生活指導を一番よくやっているところはどこか、お聞きしました。ある小学校のある先生が、私の大泉寮時代の先輩でもあり、都丸先生の教え子でもあるから、生活指導を見てきなさい、と教えていただきました。

その学校を尋ねていったところ、その先生は「自分の掃除の時間を見ていたらよいです」と教えて下さいました。その先生は掃除の時間中、率先して自分で体を動かし、箒で掃き、机を移動して、机を拭いて、気分良く全部が終わったあとで、児童を集めて反省会をし、床履きはどうだったか、机拭きはどうだったか、と反省をさせ、その全部が上手だったなあと、同意して褒めたあとで、今日の掃除は上手だったとほめました。最後に「鈴木君は、その若さで生活指導の主任をしているのはすばらしい」と私を褒めて下さいました。
こうしなければ、掃除の指導はできない、ということを実践して見せてくれたのです。私は深く教えられ、生活指導主任になっても大丈夫だと思って帰ってきました。

都丸先生は、私の大学時代の教育実習の指導教官で、我々実習生を集めてのはじめての会合の時、「鈴木君は問題学生だから私が預かった」と言われました。私は教育実習など受けない、と言って実習登録の手続きをしなかったのです。教校生になるのだから、単位など落としてもいい、とふてくされていた私を、都丸先生は褒めてくれました。「他の学生の実習は、自分は内職をしながら聞いておれたが、鈴木君が授業をすると心配で心配で、つい聞いてしまう」と言われました。

私は研究授業で、明治維新の西郷隆盛を扱い、城山で割腹自殺をした隆盛の心情を解説して、わからなくなって、泣き泣き授業をしたのでした。一か月間の教育実習が終わり、最後の日の朝礼の朝、都丸先生は私に言いました。「鈴木さん、あんたは七十名の実習生の中で成績は一番ではないが、二番です。全児童に実習生を代表して挨拶をしてください」 問題学生の私を褒め育ててくださった、私の思い出でした。
家内が眠いからもうやめろ、と言います。家内をまず教育しなければならないのですが、私の「人生は芸術なり」は、私のはパロディにすぎないので、家内を教育することはできません。

 

『人生は芸術なり 二』  十月三十一日

十年前、私は左脳を出血した時、夜、右脳出血した時と同じことが起こっていると知って、緊急入院することになりました。胸から心臓の音を確かめる装置がカンファレン室の看護士さんに見えるようにされて、ベットで休んだのですが、これで寝てしまったら、夜中に息が止まって、お棺の中で熱いと思って焼かれてしまう、と思いました。寝つかれぬ思いをしている内に、いつの間にか寝てしまって、朝目が覚めたら、カーテンに日が差していて、「あっ、まだ生きている、丸儲けだ」と思いました。

私は、大学時代、青田マスターの青田学校青年結び体に入っていて、ある朝、十二時に寝て午前二時に起きなければいけない日がありました。青年結び体は四時集合で、一分でも遅れたら即除名なのです。
私は広間に一人で寝ていましたので、神霊に「午前二時に起こしてください」とお願いして休みました。朝目が覚めたら広間の時計の秒針は午前二時五秒前くらいでした。私はその時、寝ている間は神様に生かされている、ということがわかったと思いました。
今でも同じようにして寝るのですが、「人生は芸術である」ということは、朝の起き方から始まるのですから、朝は四時に目を覚まさせてください、とお願いするのですが、なかなか四時には覚めません。二時に覚めたり、三時に覚めたりするのです。年のせいと、前立腺肥大手術のため、小便をなかなかこらえることができず、何度も起きて、ベットのそばに溲瓶を置いて、しているのです。

四時十五分には地デジハイビジョンの放映が始まります。まず「世界名遺産100」が放映され、日章旗がひるがえります。私はテレビを見ながら、テレビの左肩のデジタルの時計が五時五十五分になったら、寝室を出ていくことにしています。これは僕自身の問題ですから、一、二分はどうにでもなるのですが、一分でも狂わないように決めた通りにして起きていきます。トイレに行って、六時には洗面をして、神前の前に座って朝詣りをします。半身不随ですから、これだけのことをするのは大変なのですが、毎朝同じようにして、みおしえのお誓いをして、朝詣りをすませてから、テレビをつけます。
「人生は芸術である」ということは、まず自分が実験して、試してみて、納得して初めてわかります。朝の朝詣りまででも、ずいぶん色々なことがあって、芸術生活がパロディにすぎなければ、破綻をきたします。神様に祈り、拝み倒すようにして朝の起床をしているのです。すべて、みしらせのお蔭です。
今朝のテレビ「まっさん」では、ウイスキー作りをあきらめなければならないことになっていましたが、どう解決するのでしょうか。人生の醍醐味だと思います。
教校一期生の時、二代様から「鈴木敏夫、お前は何だ、と言われたら、芸術だ、と答えろ」と言われました。処世訓一条の解説はそれだけだったのです。後は自分でやってみるほか仕方がない、と思って、実行して五十年になります。

 

『人生は芸術である 三』  十一月六日

気仙沼高校三年生の時、私のクラスの担任は小野寺東一郎先生でした。小野寺先生のお師匠さんは岡崎義恵と言って、日本で文芸学を創った人でした。その岡崎義恵さんの編集した国語の教科書には、深田康算さんの「ロダンの遺言」という文章があり、「遺言」はゆいごんと読むのではなく、「いげん」と読むのだ、と習いました。その中でロダンはこう言っております。
「われわれはパンのために働いて芸術作品を作っている、しかしこれは間違いで、パンのために労働している、その労働こそが香り高い芸術である。自分はまだ自信をもって言えないが、将来、世界中のどこかに真の宗教家が現れたら、その宗教家はきっと「人生は芸術である」と言うに違いない」という文章です。
私は、深田さんはPLの信徒であろうかと思いました。ロダンが言ったから、二代様が偉いわけじゃない、人生は芸術であるから、ロダンが偉いのである、と思いました。私の家の壁には、ロダン作のバルザック像があり、毎日眺めていますが、ロダンがバリ市民からバルザック像の制作を頼まれ、威厳に満ちたバルザックではなく、ガウン姿の生活感あふれるバルザックを作ったので、パリ市民がこれを受け取るのを拒否したのは有名な話です。今ではルーブル美術館や、公園などにも置いてあって、有名な像ですが、バルザックはその著作よりも、ロダンの彫刻で有名であるかと思ったりします。

さて、私は半身不随となり、うまく歩けませんし、トイレに行って帰ってくるしか、自分で活動する場はないので、芸術生活と言っても、トイレの行き方と睡眠の取り方等で芸術する以外にないと考えました。トイレは大の方はストーマですから、家内にお願いすることにして、小の方は前立腺肥大を手術したので、小便がこらえられなくなり、夜は溲瓶を使い、昼は与えられた尿意に従って、ちょうどよいタイミングでトイレに行けるように工夫しています。誰も信じなくてもしょうがないのですが、私は、トイレで用を足すたびに、リビングの紙に「何時何分に何カウント」と書くことにしています。誠をこめることになるのです。そうすると、実に面白い結果が現れました。人生は芸術である、ということがわかってきたのです。

芸術とは何か、本物か、偽物か、ということになれば、最近では、その作品に機械を当てたら、その機械で本物か偽物かわかるという話があります。芸術であるかどうかは、それを鑑定する人の信用の問題であると簡単に考えています。信用のある人が本物だと言ったら、本物なのです。

私は短歌が作品一になったとき、「鈴木が作品一であるわけではない。作品一の内容の短歌を作るから、その短歌が作品一なのである」と言う説を聞いたことがあります。私はその時、そうではない、と思いました。私が作った歌が作品一なのである、と思ったのです。二代様がその資格を与えてくださった、というわけです。
小便をすることが芸術だ、と言っても、トイレに行って五度も転倒したのですから、こんな怖いことはありません。人生は芸術である、楽しかるべきである、と言いますが、芸術を省いて、「人生は楽しかるべきである」と言っている人がいます。俳優の所ジョージさんです。先日の「さわこの朝」に出て、その蘊蓄を充分に語ってくれました。阿川佐和子さんの「聞く力」はベストセラーになりましたが、聞く力によって、毎回お客さんの個性を引き出している、実は芸術であると言えると思います。お父さんの阿川弘之さんが、自分の傑作として世に出したどんな本よりも、佐和子さんは優れた芸術作品であると言えます。(この項終わり)

 

『人の一生は自己表現である』 十月十日

十一月七日金曜日に長女が、勤め先であるカワイ音楽教室の講師の会議があるということで、孫を保育園に預けるところが満員で受け入れてもらえず、うちで預かることになりました。孫のKは、家内が録画していた「いないいないばあ」をテレビでつけると、さっと表情を変えて、ものすごく嬉しいという顔をしました。音楽が始まると、これ以上嬉しいことはないというような笑顔になり、そして登場人物のワンワンや女の子と一緒になって、飛んだり跳ねたりしてダンスをし始めました。

私は、孫を預かるにあたって、まだ一歳の孫ですから、この子を通して「人の一生は自己表現である」ということを分からせてもらいたいと、神様にお誓いしていました。人の一生は、おぎゃーと生まれた時から始まりますが、生まれてすぐお乳を吸うと言っても、そういうのは本能の範疇に入っていて、自己表現と言えるかどうか疑問だと思います。
自己表現は何か、ということになれば、真実の自己表現でなければならないとか、個性のにじみ出る自己表現、などと考えてしまいますが、少なくとも自分の意志を発動したイメージの造型であると思います。孫は、嬉しくてたまらないという風情で、「いないいないばあ」を見て一緒に踊っていました。

ところで私は昨年教校五十期生に対してPL処世訓解説をするように言われて、数名のグループでさせていただきました。私の分担は、第二条「人の一生は自己表現である」ということでしたので、「なんだ、やさしい」と思ったのでしたが、講義してみると、ものすごく難しかったのです。
教校生のH君が「PL処世訓解説の文章の中に、個性と個?は違うという指摘がありますが、どうして見分けるか」という質問をしました。私は「、そういうことは難しいからそのうちにわかるが、大抵の個?は長生きしていると、その人の立派な特徴になるものである。個性は分からないようであるが、いつの間にかなんとなくわかる。個性を出してやろうなどと思ってはいけない」と言って、逃げたことを思い出します。

私は、水谷豊さんの「相棒」を見ると、好きで見るのに、途中で必ず寝てしまうという癖がありました。六日の夜も「相棒」をみながら寝てしまったのですが、七日に孫の姿を見て、人の一生は自己表現である、ということがわかったような気がしたので、「人の一生は自己表現である」という真理のとおりに、自己表現として「相棒」を見せてください、と神様に頼みました。そうしたら予想どおりに、寝ないで「相棒」を最後まで見ることが出来ました。
こんなことはたいしたことではないと思われますが、「人の一生は自己表現である」という真理の証明です。

今朝、三時に目が覚めてしまったので、四時までは寝なければいけないと思い、「人の一生は自己表現である」という処世訓に基づいて、四時に起こしてください、とお誓いして寝たら、四時ちょうどに目が覚めました。家内が金剛水を持って来て飲ませてくれました。これも神様が言うことを聞いてくださったという証明で、嬉しいことでした。
「人の一生は自己表現である」という処世訓は、事実として、生まれた時から死ぬまで自己表現である、というのではなく、絶対の真理であって、人に自己表現をさせない表現は、死に値する真理でもあります。私は、小学校二年生の女の子を、仲間をいじめるので、明日から学校に来させないと腹を立てて、脳溢血になりました。その他、牢に入って服役するよりも、禁固刑は何もしないけれども、一番苦しいものだそうです。
「汚れたる畳丹念に拭きにけりここが当座の住まいにしあれば」という顧問様の短歌があります。禁固刑になって、朝からすることがないので自分の部屋の畳を一センチくらいずつ、つま先で丹念に掃除した、という短歌です。人の一生は自己表現である、ということをお示しになった歌だと思います。

自分一人のための処世訓解説は、全人類は自分の溜の処世訓解説をすべきだと思うので、まず自分ではじめたのですが、PLの教えは実行の教えです。かつて、湯浅祖さまが、二代教祖様に「実行律の教えを説きたい」とお願いしたところ、「それは湯浅の道だからなあ」とたしなめられた、というエピソードがあります。内容律と形式律は、普通の芸術論の中にありますが、実行律はまだ説かれていません。実行してみさえすれば誰にでもすぐわかることだからです。
第二条の解説を終わります。

 

『表現せざれば悩みがある』 十一月十三日

世の中には、表現すると楽しくて仕方がない人もいます。表現すると必ず失敗するので、「沈黙は金」と思っている人もいますし、「出る杭は打たれる」という格言を重宝する人もいます。表現しさえすれば解決することは、悩みの殆どがそうですが、デリカシーのない表現や下手くそな表現をすれば、悩みが多くなるのは当然です。

私は、会合などでも表現しない方ですし、ほとんど無口を貫きます。若い頃「表現せざれば悩みあり」だと思って表現して、えらく失敗したことがあり、トラウマとなっています。今は「沈黙は金」と思い、ごく親しい人にそろそろとものを言う程度です。思い切って表現すれば、表現した分だけは悩みが解消するのは当然です。年をとってくると、悩みなどなくなるので黙っている方が便利だと思ってしまいます。

若い時から失敗させて失敗の味を覚えると、表現できる人になると聞いています。
小学校の朝礼で、ある週番長が朝礼台にあがってものを言おうとしたら、忘れてしまって、「あ、なんだっけ」と言ったきり、沈黙して降りてしまったことがありました。その子が六年生の時、文化祭で一人漫才をして万場を湧かせたことがありました。失敗が悔しくて努力した結果です。

今は総合事務所にいて、人に親切を尽くしてくれているA君は、小学四年生の時、児童会役員となって四年生のクラス代表となり、初めて児童会に出席しました。その時彼は、初めから終わりまで一人でしゃべりまくり、六年生や五年生が圧倒されている間に、言いたいことを全部言って「ああ、楽しかった。さあ、終わろう」と言いました。
会議はそれから始まったのです。A君が、我々に親切にしてくれる場に接する度に、彼が小学四年生の時に見せた、一方的にしゃべりまくる姿を尊いものだったと思います。
表現するのと、表現しないのとでは、神業は雲泥に違いがあるのです。

 

『自己は神の表現である』 十一月十一日

この箇条は難しい箇条です。しかし、十一条に「一切を神に依れ」とありますし、この辺で解説を試みないと前に進めません。
「神はこれを説かず」と本居宣長さんも言いましたし、小林秀雄さんも「自分にはキリスト教はわからないから、ドストエフスキーの研究を断念した」と言われました。小林秀雄さんは天理教の信者になって、本部にも行き、打ち解けて研究もなさったのですが、お母様が亡くなられたら辞めました。

PLの場合は、神とは大宇宙の根源の力である、ということになっています。自分は神の表現ですから、何も心配しなくてよい、すべては神業だと思って呑気に暮らせ、ということですが、目上目下の関係などがあると、怠け者は呑気すぎる、と叱られます。心配する人間は、いつまでも心配から逃れることは出来ません。
ある先輩が、黄金の延べ板を見せて「これは俺の異動神霊だ。よく言うことを聞いてくれるぜ」と言いました。私は、よく言うことを聞いてくれるものが神であるはずがない、と思いました。神様は言うことを聞いてくれないから神様なのであって、そうでなければ、巨人が阪神に4連敗もするはずがありません。
この問題は難しいから、難しいままにしておいて、私は、神様が聞いて下さることだけを神様にお願いする、神様が聞いて下さらないことは、初めからお願いしない道を研究しようと思っています。

 

『感情に走れば自己を失う』  十一月十四日

みしらせ、みおしえの真理を知っている私たちには、誰にでもわかりやすい箇条ですが、私は特に、重いみしらせをもらって、みおしえを頂いていますので、感情に走ったら命を失うということはよくわかりました。
ところで、教校一期生の時、ある日、松岡茂博士が教室に入って来られて、みしらせとみおしえの関係を説明して下さいました。黒板いっぱいに、縦軸に程度、横軸に時系列をとり、X軸とし「けしからん」と言って腹を立てたら、程度百ぐらい、「今日も納豆か」と食べ物の不足を思ったら、毎日続いて程度が重なる、というように、図で囲まれた部分をX軸で積分し、ある程度を越えたらみしらせとなる、という解説をして下さいました。
私にはその説明が、PL医学の先頭に立っておられる松岡博士ですから、説得力があり、よくわかると思いました。感情に走る、ということは、大きく揺れることもあり、小さな幅だが持続する頻度も考えなければなりません。二代様は、このようなことすべてを数式で現し、コンピュータに記録して、世界中の全人類に対して、不幸の原因を尋ねられたら、一分間以内で教えてあげられるようにしたい、そのためには、電子頭脳の開発もされるにちがいないとおっしゃっておられました。
宇宙科学で発達しているコンピュータの精度を思いますと、すべて夢ではないと思われます。

二十年前、右脳出血した時、担任していた二年生のある女の子を「明日から学校に来なくていい」と叱ったのでした。女の子は「先生、なんでもないよ、なんでもないよ」と言ったのです。みおしえには「過去の親たちが、なんでもないことで気短かんしゃくを起こしたことをお詫びする」という意味の箇条があります。

先日、孫のKを預かっていたときのことです。預かっている三時間ほどの間はにこにこと遊んでお利口さんだったのですが、帰り際になんでもないことで癇癪を起こして泣き止まず、大騒ぎになったのです。何を言っても泣き叫んで手に負えないKの姿を見ていますと、これが私の鏡なのだ、としみじみと気づかせて頂きました。Kはやがて「バイバイ」と小さな手を振って、おじぎもちょこんとして帰って行きました

 

『自我無きところに汝がある』  十一月十六日

この箇条は、一番難しい箇条です。私の尊敬している教え子の一人、S君が、極めて信用の出来る処世訓研究会で、「第五条まではスムーズに進んだのに、第六条になったらぴたりと止まってしまった、不思議です」と私に言いました。私にその理由がわかるわけはないので黙ってしまいましたが、わかる筈はないのです。

二代教祖様の短歌にこういうのがあります。「無き自我を悟らさんことの術なさや虚ろ言の葉言いて我がおり」というのがあります。二代様も、なんども試みたが「自我無きところに汝がある」の箇条をわからすことはできなかったのでした。特別な修養を積んだ何人かの人たちが悟って、祐祖になりました。ところが晩年、二代様は数名の祐祖の遂断を解くという事件が起こって、私には何のことかわからなくなりました。

西行法師に次のような歌があります。「迷いきて悟り得うべくもなかりつる、心を知るは心なりけり」、自分というものを知りたくて迷ってきたが、分かるはずもなかった、心を知るのは心だから、という歌です。
お釈迦さまが八十二歳で死ぬ間際に、「自我が消えた」という悟りの言葉を発しています。二代教祖様も、ひとのみち教団の二代を譲り受ける直前に「自分というものはなくなった、自分が偉いと思っているわけでは決してないが、人というものは、自分というものを持っている間はたいしたものではない、ということがはっきり言える。自分は空虚である。この空虚であることをおもしろいと思っている」と言っておられます。

私は昨日、老健きしにデイサービスに行ってきました。老健きしになって、昨日で三回目です。でんでん虫の独り言で「自我無きところに汝がある」を書くつもりでしたので、「老健きしへ行ってまいります。自我無きところに汝がある、という処世訓の味をわからせてください」と神様にお願いして行きました。
行きましたら、過去の二回とは違うことばかりが次々と起こり、最後にとても嬉しいことがあって帰ってきました。自我無きところに汝がある、ということは、自分の思っていることとは全部違ったことになる、ということだなあ、と思って帰ってきました。

ところが、昨夜、長女の子のKを、母親がレッスンに行っている間、家内が面倒を見ていたのですが、夕食が終わってしばらくしてから、家内のところへおしめを一枚持ってきて、「うんこがでたので、取り替えて」と言ってきたのです。孫はまだ一歳ですから、そんな言葉は言えないのですが、家内にはそう聞こえたようで、感動してうんちをしているおしめを取り替えたのだそうです。偉い人の悟りを持ち出すまでもなく、一歳くらいの赤ちゃんには我はないのですから、虚心になって赤ちゃんをみれば、自我無きところに汝がある、ということはよくわかります。

カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳認知センター教授、ラマチャンドランの書いた「脳のなかの幽霊、ふたたび」によると、「右頭頂葉皮質に(意識が覚醒している状態で)電気刺激を与えると、あなたはすぐに、天井の近くをただよって、自分の体を見おろしているような感じを経験します。つまり体外離脱体験です。自己の身体性、あきらかな自己の基盤のひとつ、が、一時的に遺棄されるのです。
と書いてあります。
そういう科学的実験をして、最近の科学では自己がない、ということが証明されたそうです。ここまで書いて、家内が「こんなむずかしいこと書いても、誰も読まない、こんなの打つの疲れる、嫌いだ」と言います。私は、家内が打つのをやめたらそれでお終いだ、と思ってあきらめています。「自我無きところに汝がある」という処世訓はとても難しいのです。(この項続く)

 

『一切は相対とある』  十一月十八日

相対という言葉は、私は苦手な言葉です。アインシュタインの相対性原理が発表された後、何のことかわからないので、男女の愛情のもつれのことだと思っていたという人がいました。一般相対性原理も特殊相対性原理も、私は考えてもわからない特別なことだと思っています。
PL処世訓の「一切は相対とある」は、一切は相対とあるから、これを一如として捉え、芸術せよ、という神様の神慮であるという意味です。これは自分自身のための処世訓解説ですから、間違えたら、私にはすぐわかるはずです。私が小学五年生を担任していた頃、教主邸のTさんを担任していたことがありました。Tさんは、一年生の時に小学六年生の雑誌を読むことができて、頭のよい方でしたから、私は教えることなどほとんどなく、教えられてばかりいたのでしたが、何を教えられていたのかわからない、というのが本当のところです。

ある日、K子先生から電話があり、「鈴木さん、コント五十五号を見ていますか」と問われました。私はコント五十五号はなんのことかわかりませんでしたので、「見ていません」と答えたのですが、「見てください」というご命令でした。大急ぎでコント五十五号を探して、その日にあったのでみたのです。
翌日、Tさんが教室の一角で「飛びます、飛びます」と言って、両手を広げて物まねをしていました。教室中が大爆笑で、萩本欽一が坂上二郎さんをしごいて、次々とアドリブでジェスチャーをさせたシーンの物まねをしているのでした。私は昨夜のコント五十五号を見て、かろうじてその意味がわかったのでした。

坂上二郎さんは、平成二十三年脳梗塞で死去されました。東日本大震災の影響で交通事情の悪い中、出棺に間に合った萩本欽一さんが即興の弔辞を読みました。「笑顔で見送ってください。坂上二郎はただ今、飛びます。飛びました。」
Tさんは、小学校の五年生ではありましたが、坂上二郎のアドリブによる畢生の自己表現を吸収して、クラスで披露していたのでした。萩本欽一の渡す脚本には、セリフが一行ぐらいしかなくて、余白は全部アドリブだったそうです。

人気番組「笑点」の大喜利では、落語家たちがアドリブを楽しんでいますが、一切は相対とある現象に一如となって、これを自分流に表現すれば、自己表現になるということを多くの人々が知ったために人気は衰えないのだと思います。PL処世訓は、自分が実行しただけが財産ですから、先般自己表現誌が処世訓特集をして、多くの人が原稿を出したことは素晴らしいことでした。しかし編集部や処世訓の権威者が、あらかじめ審査をして許された作品が載ったということは残念なことです。もっと間違いのたくさんある低レベルの処世訓解説を読んでみたいと思ったのでした。

Tさん以外にも、私は子供達から教えられたことはたくさんあります。夫と妻は相対とありますが、夫が妻を尊敬した場合、妻の持っている個性は燦然として輝き、夫の個性もそこに表現されます。男と女、目上と目下、監督と俳優、などなど、この世の一切のことは相対とありますが、私と杖との間にも、相対の神業は働き、私が杖を大切にすると、大切にした分は必ず、杖は私に反響してくれます。障害者と介護者の関係なども同様です。
Tさんのお父さんに次のような歌があります。「神の子のTとパパとの一騎打ちいつもパパの負け今日もパパの負け」言葉を発する度に、相対一如の芸術の喜びを味わわれた二代様のお気持ちがわかります。

 

『日の如く明らかに生きよ』  十一月二十日

本教の場合、日は神の象徴であり、「日の如く明らかに生きよ」ということは、ありのままで生きなさい、ということだと私は解釈しています。
先日、一歳の孫のKが来ておりました。彼女は家内の鏡台のひきだしのものをばらまいたりして、好きなことをして、気をつけてはいたのでしたが、一昨日は、家内の眼鏡が床に転がっていて二つに折れていて悲鳴をあげていました。昨日も、机の上の私の筆立てのペンを全部ひっぱりだして、放り投げたり、電話の受話器をとって遊んでいたのです。
歩けるようになって、なんでも目につくことは遊びにしてしまいます。その有様を見ていますと、日の如く明らかに生きよということは、こういうことかなあ、と思うのです。天心爛漫ですから、叱る気にはなれません。

天真爛漫と言えば、私が小学校に勤めていた時、似たような体験をしました。その昔、D君とM君という二人の頭のいい子がクラスにいました。彼らは学校で教えることは、すでにすべて知っていて、教場は遊びの場と心得ていました。彼らが言いたい放題、したい放題にすると、教室はめちゃくちゃになり授業どころではありませんでした。
ある日、学校から帰って、退屈した二人は、自分のアパートの屋上にあがり、屋上に梅干しが干してあるのを見つけて、一粒ずつ梅干しを空中に放り投げ、とうとう一つ残らず、全部投げ捨ててしまったのだそうです。一粒残らず投げたので、投げることには満足したそうです。
翌日、又行ってみたら、懲りないで、今度は新聞紙の上に梅干しが干してあったそうです。それを新聞紙ごと持ち上げて、全部一度に屋上から下に落としたそうです。D君は幼稚園長の息子、M君は総務部長の息子でした。
私は、彼らの行為こそ、日の如く明らかに生きた天真爛漫な姿だと思いました。

私はだいぶ年をとって、物覚えが悪くなりましたが、梅干しをぴしっと投げたという件は、M君が成人してから、教団の理事となり、学園担当の理事ということで、小学校の校長室に現れ、私に少年時代の思い出を語ってくれたのです。「いい気持ちだった」と嬉しそうでした。梅干し事件は、本庁内で誰も知る人がなく、その時、梅干しを投げられたと訴えた人もなく、事件にはなりませんでしたが、秘密なことは、日満(ひみつ)と言って、必ずあきらかになるときがあるものだそうです。

現在、D君はどこかで医者をしていますし、M君は大きな教会の教会長です。大きくなって、私を指導する立場で校長室に現れたのですから、梅干し事件は、私はその時初めて知りました。そして日の如く明らかに生きるとはこういうことだなあと思ったのです。
彼らにもし、孫が生まれたなら、一歳になった時、我が家の孫のKのように、その辺のものを投げ散らかすにちがいありません。その様子を見て、彼らは「いいなあ」と思うことでしょう。一切は鏡である、という真理によって、相対調和の世界は保たれています。

明日、衆議院は解散するそうです。安倍総理は日の如く明らかな心境で、解散を決意したのでしょう。昨日来られたケアマネージャーのYさんに、「あなたは民社党ですか、自民党ですか」と聞きましたところ、「私は昔から自民党です」と言われました。私は「安倍さんはPLの会員さんですからよろしく頼みますね」と言いました。以前PL,会員だと書いたら、個人情報だと言って叱られましたが、成蹊小学校の安倍さんの後輩だと言って、T先生が賛成してくれた記憶があります。
今年の流行語大賞には、アナと雪の女王の歌詞の中にでてくる「ありのまま」という言葉がノミネートされているそうです。処世訓第八条「日のごとく明らかに生きよ」は、二代様が「私の代で解明出来なかった真理は、第八条に封じておいたから、八条を叩いたら出てくる」とおっしゃったことがあります。
ありのままに表現する、ということは、二代様が大切にされた言葉ですから、我々も又、ありのままに表現しようと思ったらいいと思います。
私は憂い型ですから、日のように憂えずに表現しようと思うことにしています。

 

『人は平等である』  十一月二十一日

PL小学校に出向していた頃のことです。ある年、ある幹部教師のお嬢さんが一年生の入学試験を受けましたが、答案用紙に書いた名前だけは、誰にも負けない立派な字でしたが、答案はほとんど違っていて、合格点に達しませんでした。合格点に達しない子を合格させては入試の意味がない、と先生方が言って、その子は補欠合格となりました。

開校以来、本庁在住の児童が不合格になったという子は一人もいなかったのですが、その子は補欠合格にする以外になかったのでした。入試説明会の時、担当の先生が「自分の名前くらいは書けるようになっていてください」とちらっと言ったのが、私の耳にとまり、気になっていたのですが、まだ文字を習っていない子に、自分の名前とはいえ、漢字でしっかり書かせるということは、だいぶ苦労されたと思います。おそらくその日からずっと、お母さんが名前を書く練習をさせたのでしょう。その子は入試が始まって、答案用紙に自分の名前をちゃんと書けたら、それで力が尽きて、入試が終わったような気になり、以後のテストはうわの空だったに違いありません。

補欠合格というのは、御両親に連絡した後、再試験をして合格なら入学許可になるのですが、そのお子さんが五年生になった時、登校してお昼近くになると、急にお母さんに会いたくなって、涙が出てきて、校長室に来るようになりました。泣いて「お母さんに会いたい、どうしても会いたい」と訴えるのです。
ある日、その子が私の机の上に置いてあったPL処世訓を見て、こう言いました。「先生、第九条、人は平等である、というのはどういうことですか」と聞くのです。友達がみんな楽しく遊んでいるのに、自分だけがお母さんに会いたくなるのは、平等ではないと思ったのかもしれません。私は暇でしたから、一対一で話をしてあげることにしました。

人は平等である、ということは、神様の前に平等であるということです。例えば、蜂さんは誰から習ったわけでもないのに、六角形の立派な蜂の巣を作ることができます。犬さんは、多くの臭いをかぎわけることができ、チーターは陸上部に入らなくても速く走ることができます。
みんな生まれた時には、そういう機能が頭の中にあるのです。人間だけは何もなくて、自分で自分にその機能を養い、育てることが出来ます。土の中に住んでいたのに、掘立て小屋に住み、アパートやマンションに住んだりします。一軒家の広い土地を買って一軒家に住むことも出来ます。そのように人間だけは自分の機能を自分で育てあげことが出来るのです。
PL処世訓は全部。人に平等にあたえせけいのす。
あなたも友達のように元気で、学校生活をしたければ、「そうします」と決意したら、そうなれます。人は神様の前に平等なのです。
彼女は分かったような顔をして、校長室を出ていきました。
先日、高倉健さんが亡くなりました。万人に愛されたトップスターも、家庭にはめぐまれず、お子さんはいなかったようです。身体障害者の私も、歩けない足で杖を使ってなんとか歩いています。人は平等である、とは、ヒトゲノムは平等にいただいている、と思えばよいのだと思われます。

 

『人は平等である 補遺』  十一月二十四日

私が幼少の頃、私と同じ年の従兄弟が私の家に同居していました。鈴木彦春と言いましたが、生まれた時からの小児麻痺で、医学がまだ未発達だったその頃では、一声も発せず、一歩も這うことすらできず、朝から晩までただ寝ていました。
日本の敗戦によって、平壌から引き揚げなければならなくなった時、私の父は、日本人会の世話役をしたりして、引き揚げを無事にすすめる係をしていましたが、同じ長屋に石川県の石川さんという老夫婦が住んでおり、夫が脳溢血で全身不随でした。夫も一緒に内地に引き揚げさせてくれなければ、青酸カリを飲んで死ぬ、とおばあちゃんが言って、困ったと言っておりましたが、やがて廻りの人が、「鈴木さんと一緒だと石川さんを担架に積んで一緒に引き揚げなければならなくなるから、先に逃げてしまおう」と言って、逃げ出す人もいました。

そんな状態の時、鈴木彦春君はものも言わず、高熱を発して、一人静かに死んでいきました。廻りの人は口にこそ出しませんでしたが、これで無事に引き揚げることができる、と安心したに違いありません。生涯、一歩も歩かず、一言も発せず、ただ死んでいっただけの彦春君を、同じ年である私が、人は平等である、という立場からどう説明したらいいのか、と思いました。彦春君のお母さんは、鈴木ミツさんといって、私を大切に育ててくれました。オンドルの部屋で暖かく布団を掛けて、西遊記などを読んでくれました。西遊記なんて難しかったのですが、最後までわかるように読んでくれました。自分の本当の子供が身動きできないのに、私を連れていつも銭湯に行きました。銭湯では女風呂に入るので、七歳の私は、女風呂が珍しくありませんでした。

ただ、ちょうどよいところで死んだ彦春君が、我々一家を救ったように、私の長兄、英夫も神風特攻隊で戦死して、遺族扶助料で戦後の我々家族を救いました。
人は平等である、という処世訓を考えてみて、彦春君の死は、英夫兄の死に匹敵する立派な一生だったと思えてなりません。神様からみたら、人は平等なのです。兄は中学四年から陸軍航空士官学校に合格した秀才でした。いつも私の家の部屋のひと隅で、じっと寝ていた鈴木彦春君の死を、人間は神に依って生かされていることを教えてくれた、立派な人生だったと称えてやりたい気がいたします。

 

『自他を祝福せよ』  十一月二十五日

この箇条は、身体障害者の私には、極めて難しい箇条です。自他を祝福しようにも、自分は他を祝福する行動が何もできない、というハンディキャップがある上、生まれつきのようなものもあるからです。
私の家内は、SC生として幼少期を過ごし、寮生みんなのためのお菓子などが少しあるときは、自分はいらないと思ったら、本当に要らないと思って、欲しくなくなるという経験をしたそうです。それで、いらないという遂断をすることを覚え、今も便利だと言っています。

それに引き替え、私は、戦後引き揚げ者の家庭で、六人家族の末の男の子として育ち、ぼやぼやしていたら無くなるので、まずは自分のものを確保する性格を強いられました。
二番目の兄、馨兄さんは、なんでも一番食べたいものは一番最後に食べると決めていたそうですが、私が一番食べたいものは一番先に食べると決めていたので、「いつも敏夫に先に食べられた」と言っていました。そんなこんなで、私には苦手な心境です。
自己は他己であるというように、自分というものは、生まれた時からミラーニューロンによって、他人を真似してきた存在ですから、他人と共感することができ、他人を理解することが出来ます。共感したら、他人の真実を味わうように味わい、相手が生きるように表現するのが本当です。

世界的な画家、セザンヌが側近のものに「不思議なことだが、自分というものが入ると何もかもダメになる」と言った言葉は有名です。批評家、小林秀雄さんは「批評文として成功するのは、他人を褒めたものに限られる、他人をやっつけて成功したことは一度もない」と言っておられました。
衆議院が解散して、選挙演説が始まりましたが、野党が与党の悪口を言うのは聞きにくいものです。民主党の岡田代表代行が「アベノミクスは間違った、失敗した」とさんざんこき下ろしましたが、あれを逆に「アベノミクスは立派だった、もう一度政権をとって、しっかり実らせてほしい」と言ったら、男が上がったことでしょう。でも仲間から、代表代行として役にたたん、と言われるでしょう。ですから、政治の世界には真実はない、と昔から言われています。

「自他を祝福せよ」という箇条は、難しい箇条ですが。デイサービスで「老健きし」に通っていますと、私を担当してくださるI看護士とO介護士は、名字に本がつくので「本々組」と称して、ていねいに親切を尽くして下さいます。お風呂に入れて頂きながら、「あなたたちの親切のリズミカルで気持ちよいことに、ほとほと感謝しちゃう」と言いましたら、「そんなこと言われたの、初めてだ」と喜んでくれました。そのリズムの良さは、リトミックのリズム教育に関係があるように思うのですが、「徹子の部屋」の徹子さんが卒業したトモエ学園は、リトミック教育をしたところです。「徹子の部屋を見ますか」と聞いたところ、「私、窓際のトットちゃんは愛読者です」と言われました。高齢化社会になって、介護士が不足しているそうですが、次々と立派な若い介護士が育っているのも確かです。
自分でちょっと対象を祝福してみただけで、自分の心に喜びが湧くことは、人間なら誰でもたちまち実行できることです。私の介護に明け暮れている家内の朝から晩までの仕事ぶりをみていると、今更ながら、この人は私を介護するために生まれてきたに違いないと思います。私がどう生きたらいいかは、自明のことです。

 

『一切を神に依れ』 十一月二十七日

この箇条は、いつ生まれるかを知らず、いつ死ぬかを知らず、大宇宙の根源の神の力に依って生かされ、死んでいく人間ですから、神に依らなければならないのは当然であります。ただし、どういう神様を拝み、どういう方法で拝むかは、百人百様、その人その人の勝手です。

かつて、殺人犯A少年の検事調書が文藝春秋でスクープされ、その文春は発売の朝、発売禁止になりました。家内が禁止になる前にたまたま買ってきたので、私は読んだのですが、A少年は人殺しの前に、バイオモドキ神を拝んでいき、出発しました。その他世界中には様々な神様があるでしょうが、一応どれでも通じるとされています。
私は、両方の脳に出血しましたが、ラマチャンドランの「脳の天使」を読むと、脳の働きのものすごさに驚き、「これはもうだめだ、神様にお願いするしかない」と思いました。しかしPL礼拝は左手が動かないので、まんまるの日象の形をとることが出来ず、神前に行って一日に百回も遂断ることはできません。左脳に出血した時は、言葉が何も発せられなくなったので、含み声で祈るしか仕方がありませんでした。それでも、含み声で言うても通じることが証明されました。三回同じ条件で同じことをして同じ結果が出るのなら、それは正しいと言える、科学の世界の常識もあります。

私は、前立腺肥大を手術して、前立腺にも異常がありますので、小便が堪えられない感じを把握することができました。そういうものを駆使して、神に依る在り方を自分なりに工夫しています。自己は神の表現ですから、それでよい、と自己の本体が言うのならば、それでよいのです。
「一切を神に依れ」という箇条は、多くの人が書いて下さっていますから、それはそれでよいと思いました。PL処世訓は、全部が一つとなって「人生は芸術である」ということを言っているのだそうです。
今日、元教師の野原東先生が亡くなられたことを知りました。息子さんの喪中のお知らせで知ったのです。神に依って書かせて頂きます。

 

『名に因って道がある』 十一月二十八日

この箇条は、人生が芸術である以上、すべてのものにはその名前によって生命がある、という意味です。中絶した子供には名前がありません。お母さんは、悲しくて水子地蔵を献納したりして、その寂しさを慰めたりします。私の知っている人は、娘さんに絶対中絶してはいけない、妊娠したら必ず産め、と教育しました。学生結婚をしたそのお嬢さんは、学校に通いながら、無事出産し、そうして産まれた子も立派に医学生になっています。その学生が、名に因って道があり、その生命を生き、世のため人のため、世界平和のために、どんなに多くの仕事をするか、そう思えば尊いことだと思います。
人間でなくても、すべてのものには、名前によって道があります。芸字茶碗という抹茶茶碗があります。この茶碗は限られた人にだけ配られ、その人たちは、芸字茶碗としての茶碗を生かして使っておられる筈です。各教会にも芸字茶碗はあると聞きました。この茶碗は、先日亡くなられた東先生が、二代さまの命で作られ、羽曳野の粘土で焼かれたものです。

私は東先生のお子様を三人担任したこともあって、ある年、東先生が私の家に現れ、「お世話になりました」と言って、花瓶や素焼きの抹茶茶碗を下さいました。お茶を入れる急須のような花瓶もあって、驚いたものでした。私はその茶碗を大事にしていたのですが、別れ際に「この焼き物はなんという焼き物ですか」とお聞きしました。「羽曳野焼き」と言われました。その時、東先生は「羽曳野焼き」と命名されたのだと思います。
人間は、物に名前を付けることができます。名前を付けたい生き物でもあります。

私の孫のRは、二、三歳の頃、母親と歩いていて、道ばたから小鳥が飛び出し「ピーッ」と鳴いた時、「あっ、ピッピ、バイバイ」と言って小さな手を振ったそうです。瞬間に命名して手を振る、という芸当が人間には出来るのです。ピッピはどこへ行ったのでしょうか。一度だけの出会いの神業を生きて、どこかの森でその命を終えたことでしょう。
今日は、Rの妹が我が家に来ています。「いないいないばあー」というテレビ番組の録画したものを何度も何度も見ています。この番組は長寿番組で、主人公のワンワンはぬいぐるみですが、ぬいぐるみの中に入っている人は、すでに六十歳を過ぎているのではないかと、話しています。相手役のゆうかちゃんは、小学生です。この番組は、名に因って道があり、その命を充分に働いて、子供達に喜ばれています。親たちも有効に使っています。

東先生の焼かれた抹茶茶碗は、私は大切に保管していたのですが、ある年、小学校の女の先生が結婚して北海道に発たれる時に記念に差し上げました。羽曳野焼きと名前をつけて下さった東先生の込められた誠が生きて働いているかどうかはわかりません。しかし、誰か目利きの大金持ちがいて、この茶碗は三百万円の値打ちがある、と言うたとすれば、そういう値打ちに耐えられる焼き物だと思います。
名に因って道があるということは、だからその働きを働かす責任が人間にはある、ということです。働きを働かさなければ、そのものはこの世から抹殺されてしまいます。とても大切な箇条なのです。靖献クラブという名前があります。教校を卒業した人を靖献 倶楽部員というのですが、時代が変わって、党中党を為す、そのような組織は不要である、と抹殺されてしまいました。

 

『名に因って道がある 補遺』  十一月三十日

私にも三人の子供がいますが、それぞれに一人ずつ名前がつくまで待つ間、名無しの状態の時があります。名前のない赤ちゃんの状態の時は、道のない人間として変な感覚のものです。世の中には姓名判断というものがあって、名前によって運勢が変わることになっています。鈴木一郎という野球選手が、ある占い師から「カタカナでイチローとしたら運勢が開ける」と言われて、そうしたところ、大リーガーでも一流の野球選手になりました。その同じ占い師に、私の教え子も名前をつけてもらって、聡賢と名前を変えたら、立派な社長になって活躍しています。社長仲間ということで、二人の社長を連れて校長室に遊びにきたことがあり、接待しましたが、社長となれば、社長だけの内容律があるものです。
高校野球の桑田、清原という名前は、私がオーストラリアに行ったとき、グリーンフィールド小学校の子供達が、桑田、清原を知っていると言って歓迎してくれました。
歴史に名前を残すことが親孝行であった時代もあります。巨人、大鵬、卵焼きと言われた時代の三つの名前が、人口に膾炙したことを思えば、名に因って個性を発揮している人たちが、あきらかに存在することを証明しています。

サンデーモーニングという番組がありますが、日曜の朝、NHKのニュース番組で充分なのに、関口さんを司会として数名の担当者がそれぞれに個性豊かで、NHKとは違うニュースの扱い方をしているのは、面白いと思います。スポーツコーナーは張本さんを中心として、褐と天晴れを出す人がいて、天晴れなら賞金をもらい、褐なら罰金を払うわけではありませんが、勝手に天晴れ、褐と言って悦に入っています。
このコーナーで天晴れをもらったからと嬉しかったと言って、成績の上がった選手もいるそうです。世の中の役に立っているのです。大澤親分がお元気だった頃は、この人の個性で、天晴れ、褐に調べがありました。

昨日、老健きしに行ったところ、八十九歳の方が私に「PLというのは、天理教から変わった宗教か」と聞きました。世間の人というものは、天理教から分かれてPLになった、と思っている人もいるのです。リハビリテーションのディサービスもリハビリプラザ富田林、老健きしなどいろいろあります。その名前によって、全く違うということは身をもって感じています。だから芸術なのです。シュールリアリズムの芸術とか、リアリズムに徹した芸術もあります。名前を大切にしないと、芸術はうまくいかないところが面白いところです。
私のつけている人工肛門は、ストーマという名前がありますが、ストーマにつける装具はパウチと言います。私がつけているのを見て、「これは何という名前ですか」と聞かれました。私は知らなかったので、「ストーマです」と答えてしまいました。帰宅して家内もよくわからず、調べてみたら、装具はパウチというのだということがわかりました。

プラザ富田林に行っているとき、途中に立派な並木路がありました。この木の名前を運転手さんに聞いても、誰も知らなかったのです。知らないということは寂しいことです。
昔、池袋教会の教会長さんが、私の顔を近くで見つめながら、「ええ、あなた、誰だっけ」と言われました。正直な人だなあと思いましたが、認知症になると、固有名詞から忘れます。我が子の名前を忘れたら相当な認知症と言えるでしょう。
「名に因って道がある」という処世訓は、人の名前よりは、地球上にあるすべてのものに名前があることを教えてくれています。雑草という名前の花はない、と言われた天皇陛下のお言葉も思い出されます。山の名前などは、富士山くらいは固有名詞として使ってもよいとされています。この処世訓も、それぞれの人が自分で体験して、納得していくほか仕方のない処世訓です

 

『男性には男性の、女性には女性の道がある』 十二月一日

小学校の校長をしていた頃のことです。ある日、当時総務をしていたT先生が教主邸に行って、PL学園存続の理由を聞いてきました。
PL学園存続の理由は、幼少の頃からPL人を作ることである、PL人とは、どんな時でもPL流に考え、PL流に行動することの出来る人である、それはPL処世訓に生きる、ということである。小学校の先生方は、PL処世訓の解説を直ちに受けるべきである、文教部のK先生に受けたらよい、というお話でした。
すぐにお願いして、K先生はお忙しいけれども、1週間に一度小学校に来て解説をしてくださることになりました。小学校の先生方は全員遂断って、K先生のお話を待ちました。

十三回、「男性には男性の女性には女性の道がある」という箇条になった時、私はしめたと思いました。K先生は東大出身の先生であるばかりではなく、PL処世訓入門の筆者でもあり、その上、PL女子短期大学の学長も何年かされたあと、現在のお仕事に戻っておられる先生でした。処世訓の解説は誰がどんな気持ちで聞くか、ということが、話す人が神様から授かって、最も必要なことを言わせて頂くためには大切なことでした。そういう意味では最も理想的な聞く体制が整ったということです。
皆、一応小学校の先生のプロですから、男女児童の指導には困り果て、聞きたい気持ちがいっぱいだからです。私もその一人でした。ところが、K先生は色々話をされた後、「自分はPL短大学長をしている間、とにかく女性というものがわかりたくて一生懸命努力した。だけど遂に学長を辞めるまで、女性のことはまったくわからなかった。それは私が女性ではないからです」というお話でした。わからないということは、わかることよりもはるかに大切なことです。その証拠に、K先生はわからないと言われながら、女性に対しては実に理想的な親切でやさしい応対をしておられた筈です。自己表現は、表現の態でなされるのですから、女性のことが何もわからないということは、自己表現には最も有利なことでもあるのです。

私と家内の場合は、家内はリュウマチ性多発筋痛症で、私は右左両方の脳出血で人口肛門と前立腺肥大の手術をした人間です。そういう人間同士のカップルは、この世に二組といないと思います。だから、男性には男性の女性には女性の道がある、といっても、何の役にも立たず、昔、男性はリードする力、女性はリードされる力がある、愛する愛、愛される愛、というようなことを知っているつもりで人に説いたこともあったなあと思います。今では「何もわからないよ、僕は」と思っています。でも、今までで一番楽しい日々を過ごしています。だって、PL処世訓について、文章が書けることほど楽しいことはありません。「ほんまかいな、私は楽しくない、のたうっている、苦しいばかりだ」と家内は言います。

明日は教主誕生祭、私は舞台の上に連れて行ってくれる先生がいて、舞台の上で教師の歌を歌うのだそうです。なんという親切な先生でしょうか。彼は、私が小学生時代に教えた子であり、本当の親切は自分から積極的に純粋自発ですることである、と教えたことがある人です。彼は、そういう人になって、私に親切にしてくれることは、この上ない喜びです。家内は歩くのがやっとなので、「私は舞台には上がらない。席で待っている」と言っています。
おしえおや様は、総合事務所など、新しい体制が整ったら、教団は比較にならないほど親切な本庁になる、とおっしゃっておられました。そのおしえおや様の遂断を体全体で頂いているのです。嬉しくないわけがありません。

 

『世界平和の為の一切である』  十二月四日

「世界平和の為の一切である」この箇条は、処世訓の中にある、八条、十七条、二十条のように、「生きよ」とか「せよ」というような命令形の箇条ではありません。しかし、世界平和がどこからか配達されるのではなく、我々が主体性をもって創造するものであることを示しています。
世界平和は、国連の事務総長とか、アメリカのオバマ大統領とかソ連のプーチン大統領が、相談して決めるものではありません。我々一人一人の全員が、世界平和の為の一切であるという大きなシンフォニーを演奏するものとなって、芸術するのです。その証拠に、古来、優秀な素晴らしい芸術のすべては、世界平和の為の一切となっています。
モーツアルトやベートーベンのシンフォニーしかり、トルストイの文学がそうです。我が国にも源氏物語や、赤穂浪士の忠臣蔵などの歌舞伎もあります。
昨日、FNAの歌謡祭がありましたが、現代音楽も、一歳の孫から大人に至るまで、惹きつけられて良い気分でいたようでした。

十二月二日の教主誕生祭では、幼稚園生から始まり、小学校、中学校、と世界平和の為の一切である、と言わんばかりの表現が続きました。GIの先生方の落語、N総務部長の歌、K理事長の捨てて勝つの熱唱、西川鯉三郎さんの振り付けた棒を使っての舞踊等、すべて世界平和の為の一切である、と心に念じた表現であることがわかりました。
二代教祖様は「先代は、神様に、私の寿命を縮めてください、と嬉しそうに祈っていたものだ」とおっしゃっていました。その為でしょう、二代様が外遊をされる時は、ほとんどいつもTさんを同伴されました。Tさんは小学校五年生でしたから、外遊のお供をしている間に、学校の授業の進んでしまうところは、外遊前に済ませておきたいということで、私は教主邸に行って、外遊中の授業の内容を勉強したものです。私はクラスのことは放っておいて、教主邸に行ったのです。これも世界平和の為の一切である、ということで許されたことだと思います。私は、行くたびに、神に依って生かされている、という体験をしました。

二代様の短歌の指導者格であられた、窪田空穂先生のお歌に「天地のこのうるわしさ汚すべみ言はつつしむひとり言うにも」というお歌があります。窪田先生の短歌を読む時の心構えです。誕生祭の日にバザーの席にいましたら、教主邸のH君が「先生、こんにちわ」と声をかけてくれました。H君の一年生の時を知っている私は、立派な若者に成長している姿を頼もしく思いました。「今、どうしているの」と聞きましたところ、「浪人中です」と言います。
昔浪人生に、受験のための祖遂断願意を頼まれて作ったことがあります。最後に「世のため人のために神はよろしくお願いします」と一条添えたところ、「僕は世界平和のためにというような抽象的なもののために受験するのではなく、自分自身のためだけに受験するのだから、世界平和の為にというところは取ってください」と言われました。私は愕然としましたが、自分の鏡である、と反省したものです。この世の中は、自分の一人のために何かするというようなことは、出来ないことになっています。必ず人のためになりますし、世界平和の為の一切である、という、調和に添っていなければならないのです。そうせよ、というのではなく、そうすれば恵まれる、という有難い教えです。

巨人軍の清原が、選手一同でのキャンプインにあたっての、神詣りで、みんなが念願を書いたところ「打率三割」とか、「ホームラン五十本」というようなことではなく、「世界平和」とだけ書きました。五百号本塁打を打つまでのスピードから言って、世界一の強打者と思われましたが、終生無冠だったと思います。ただし、世界平和を心に念じた証拠は、私が先年、バージニアに行ったとき、私を招待してくれたOさんのご主人が、「清原が今日、ホームランを打った」と言って喜んでおられたことがあります。私に「清原のホームランは、レフトスタンドに入る弾道の美しさは世界一だ」と褒めていました。世界平和を願う人は、どこかで必ず高い評価を受けるものです。
自分一人のための勉強では、例え学校で一番の成績であっても、神様の評価は下がります。世界平和の為の一切から外れるからです。
私は身体障害者となって、世界平和のために表現することは何もないようではありますが、自分の出来る限り、世界平和の為の仕事をしようと思っていると、そういう仕事は出てくるものです。有難いことです。

 

『世界平和の為の一切である 補遺』  十二月八日

「世界平和の為の一切である」を書きましたら、およそ芸術となっているものは、すべて世界平和の為の一切となっているように見えてきました。私が好きで見ているテレビドラマも、演歌歌手も、心してみればすべて自分を立てるというよりは、他人や廻りを立てようと心を配っておられます。

日曜日のNHK、朝五時からの「こころの時代」は「ゴザを生きる」という題で、パレスチナの弁護士、ラジ・スラーニさんの話でした。聞き手が在日韓国人の徐さんで、的確な質問をしていました。スラー二さんの話には映像もあり、イスラエルがゴザ地域を爆撃して、メチャクチャにしている様子が放映されました。世界中にこんなつらい地域はない、と思われました。宗教問題も絡み、イスラエル建国の問題もあって、極めてわかりにくい土地ですが、スラー二さんはそのゴザ地区で懸命に生きておられます。自分の父母や、親戚も皆死んで、自分も明日生きているとは思えない生活を続けていて、イスラエルの弁護士の友人から電話がかかってきたエピソードも話していました。世界平和の為の一切である、はこういう地区にも向けられねばなりません。

そのスラー二さんが日本の福島に講演に来ました。福島の放射能汚染で悲惨な目にあっている村を見学して、「ゴザはここにもある」とつぶやいていました。「目をつむれば小鳥の声も聞こえる、目には山々の緑が見える、実に静かなよい土地だが、その悲惨さはゴザにはないものだ」と言うのです。
スラー二さんは、またゴザに帰るでしょう。そしてそこで、世界平和の為の日々を送るのです。我々はそれを知った上で、日常生活を送らねばなりません。
今、日本は衆議院選挙で賑やかですが、野党が与党の悪口ばかり言うのは、やむを得ないこととは言え、芸がなさ過ぎます。共産党や民主党が、どこか一人でもいい、安倍さんは素晴らしいと言ったら袋だたきにあうでしょうが、そこには世界平和の為の一切である、という神業が働くに違いありません。不可能なことを考えても仕方がないので、自分のことを考えてみます。

私は脳出血のみしらせに加えて、前立腺肥大の手術をしています。これは女性には絶対理解してもらえないことで、尿をこらえる機能が衰えているのですが、衰えていることは嘆かず、嬉しいことに工夫して生かすことをかんがえなければなりません。そしてそれは可能だということを確かめています。右手一本で顔を洗ったり、食事をとったりするのはかなり難しいのですが、ガザの人たちに比べますと、幸福なものだなあと思います。
イスラエルは、哀れなガザを更に攻撃し続けるのですが、自分たちがナチスからホロコーストで痛めつけられた苦痛を、何かに表現するとこうなる、という思いを行動しているのかもしれません。
「さわこの朝」で阿川佐和子さんが、鈴木京香さんに、一人を楽しむ境地を聞き出しておられました。鈴木京香さんが、一人旅が好きで、一人旅行を楽しみ、一人鍋が楽しいですよ、というところに、聞く力で入っていって調和をとるのです。

「世界平和の為の一切である」という処世訓は、みんなで調和しよう、ということですから、対象と調和する工夫は、ガザにもあり、日本にもある、ということを教えてくださっているのだと思います。
苦しい環境にある人は、ゴザの民家が爆撃にあっている様を思って乗り越え、自分に出来る芸術の道を工夫しなければなりません。

 

『一切は鏡である』 十二月九日

これは「神は鏡である」ということである、と私は思っています。大学生の頃、私は池袋教会の学生会長で、その頃、青田マスターがしていた青年結び体に入っていました。
ある年、一ヶ月くらい特別に錬成をして、二代様に来ていただいて御親講をいただく、という企画がありました。二時とか三時に起きて、冷水をかぶって、皆集合したのです。上野教会の壮年会の人が、「私はマスターに血の小便が出るくらい働けと言われました。そして今朝、血の小便がでました。やったと思いました」というような壮絶な体験を聞きました。

そして、いよいよ打ち上げの日、二代様は教会に入って来られると、我々が見てもらおうときれいにしたところは、見向きもされず、広間の隣の日本間に、広間の汚い物を全部閉じ込めたところを開けてごらんになり、「ここは何だ」と言われました。そして、東京教会の壇上に上がられて、御親講が始まったのです。二代様は前置きの挨拶をされたあと、「諸君に良いことを教えてあげよう」と言われ、我々が固唾をのんだところで、「神は鏡である」と言われました。私は隅の方で聞いていたのですが、「なんだ、たったそれだけか」と思いました。毎朝、頭から水をかぶって修業したのに、合わないなあと思ったのです。

最近では、ミラーニューロンというものが発見され、脳の働きの半分くらいは解明されています。「神は鏡である」と言えば、ミラーニューロンを思わないわけにはいきません。私は今、「脳の天使」を読んでいますが、なかなか前へ進みません。これからのことになります。PL処世訓に、「一切」という言葉が含まれている箇条は、「一切は相対とある」「一切を神に依れ」「一切は進歩発展する」「世界平和のための一切である」と4箇条あります。どの箇条もよく味わうと、「神は鏡である」ということに通じるような気がします。「世界平和のための一切である」ということを書きましたので、その鏡となって、私はその後、「世界平和のための一切である」という箇条が好きになりました。なんでも努力したら好きになる、という鏡です。

先日、満百歳で囲碁の呉清源が亡くなられましたが、百歳の祝いをお弟子さんたちにしてもらって、その席上で「囲碁は世界平和の為に役立つものであると宣言します」と言われました。宣言されたというより、ふと口から漏れたのだと思いますが、呉清源さんが読売新聞紙上で、打ち込み十番碁を打って、橋本宇太郎さんなど、日本の十人の一流棋士を全部打ち込んだことがありました。その強さにあきれて、その頃はまったく囲碁を知らなかった私も、新聞の囲碁欄を熱心に読んだものでした。日本の囲碁はそんなに弱いのか、と思ったのです。呉清源さんはその頃から、お光りさんに入って信仰したりしていましたが、世界平和の一切である、と思って碁を打っておられたのでしょう。そういうことが鏡となって、林海峰さんなどのよいお弟子さんに恵まれました。林海峰さんのお弟子さんの天宅さんが私の先生です。

私は、九子局で天宅先生に初めて打ってもらったとき、左上隅の半目を何回も何回も劫立てして打たれるので、私は、何十目も負けているのに、なぜ半目にこだわって打たれるのか、と思って聞いてみました。「どうしていつまでも効を争われるのですか」「半目あるからさ」と言われました。その語調の厳しかったこと、プロは半目争っている碁打ちであることを、その時先生は私に教えてくださったのです。世界平和のための一切であるから、吹けば飛ぶような私にも、全力で打ってくださっていたのです。私は教えられたなあ、と思いました。

先日、将棋の竜王戦で、森内竜王が米谷挑戦者に負けました。米谷さんは、勝てば四千二百万円の賞金がもらえる竜王戦に勝って、感想を聞かれ、「師匠や広島市に恩返しができたかな」と言っていました。世界平和の為の一切であるというような風情でした。
私は将棋は知りませんが、実生活で、そのよく考えるところが役に立つので、羽生さんが出たときなどよく見ています。努力をすれば鏡ですから、損をすることはないのです。
演歌も、乞食節と称して軽蔑していた時は見ませんでしたが、演歌は演説歌だ、わかりやすいと思って見てみたら、最近ではよく見るようになりました。テレビのコマーシャルも、嫌だ、飛ばせというようなことは考えず、一生懸命みるようにしたら、コマーシャルの方が女優も俳優も一生懸命やっています。ギャラがちがうからでしょう。
お願い、早く終わってくれないかなあ、と打ちながら家内がいいます。一切は鏡です、ここで終わることにします。

 

『一切は進歩発展する』 十二月十一日

2014年2月号の自己表現に、「PL処世訓を味わう」という特集がありました。自分の書きたい処世訓を選んで応募する、という理想的な企画でしたが、編集部はあらかじめ審査するところが、自由を束縛していると思われました。その時私は第十六条を書いているので、今でも同じ気持ちです。PL処世訓の解説を一人で全部した人は、過去に八島二郎さん(顧問さん)の「PL処世訓解説」、八坂先生の「ワンポイントアドバイス」があります。
昨年、教祖祭で帰本した教校一期生で退職したK君が私に言いました。「PL処世訓は第十六条「一切は進歩発展する」だけでいいんじゃないの」 池袋教会長であったA先生も外国留学から帰ってきたある日の朝詣りの教話でこう言いました。「PL処世訓二十一箇条の中で、私は第十六条が好きです。これを唱えるとどんな時でも嬉しくなって、喜びが湧いてきます」 A先生は家内の叔父さんですし、私も好きな人なので、第十六条を「自己表現」で選んだのです。

それで一つだけ自分が実行していることを書きます。寝室で寝ていて、朝五時五十五分にテレビを消して寝室から出る、と決めています。これを一秒も狂わずに五十五分にすることは難しいことです。一秒くらいどうでもいいという気持ちが湧きますが、ここを妥協しないで、終始一貫続けていますと、一切は相対である、というお恵みを頂きます。一日中が気持ちいいのです。
五時五十五分を間違えて、四時五十五分に起きたこともあります。そういう時は、一時間を穴埋めするのに苦しい思いをします。条件が同じで、同じことをして同じ結果がでるのは、それを科学的に証明されたことにもなります。そう次男に教えられたので、神は鏡であるから、変えないで続けているのです。

一切は進歩発展する、という教えは、自分から進んで実行すれば、すべてそうなります。隔日半合のお酒は、いまでは飲まないでおいしい夕食が食べれる、というジンクスにもなりました。今日は飲まない日です。飲まない日の方がおいしい夕食が食べれる、というように工夫すればよいのです。
それは「世界平和のための一切である」ということで、気がついたことです。PL処世訓はどの一箇条もすべての箇条を含みますから、K君のように一箇条あればいいというものではありません。幽祖様は「神訓三箇条が足りないので、世に三箇条を現す人を授けて欲しい、そのために寿命を三十年縮めます」と遂断っておられました。どの一箇条も大切なのは言うまでもありません。我々は二十一箇条全部揃っている時代を生きているのです。

 

『中心を把握せよ』  十二月十二日

この箇条は「中心は神である」と続くと思います。影身祖様は、神に対して深い悟りの境地をお持ちでしたが、私は、長男の大学受験の頃、何回か夫婦でご解説を受けました。影身祖様は「あなたたち夫婦は、真綿で子供の首を絞めているのですよ」と言われました。それだけのことですが、長男は受験時代、苦しくてパソコンゲームに集中していた時がありました。彼は、あのときゲームをしていなかったら発狂していたかもしれない、と言っていました。

私たち夫婦は、いつとはなしに、これは神に依るしか仕方がない、という気持ちになったようでした。ゴルフなどで、パットが決まっても、それは自分が入れたようではありますが、入れさせて頂いたのである、という境地があります。そういう境地でないと、次は入らないのです。
長男は大学に進学した後、ゴルフ部に入りましたが、ゴルフのプレーをしている時などに、パットは自分で入れるのであるが、入れさせていただくのである、という境地を悟ったかもしれません。「子は親の鏡である」という真理もありますが、親が神に依る境地を悟った分だけ、子供もいつとはなしに、神に生かされていることを悟るのだと思います。

昔、学生会遂断の言葉を学生会一同で唱和していた頃、「人は自分の力で生きているのではなく、神に依って世のため人のために生かされているのである」という言葉がありました。
ある時、私は教会長に癇癪を起こして、教会をやめ、大学の寮に帰って、次の日、暇なので、何年ぶりかで映画館に入って映画を見ていたところ、映画のスクリーンの上に「人は自分の力で生きているのではなく、神によって、世のため人のために生かされているのである」という言葉が流れました。私は驚いて、教会長に癇癪を起こしたのは、世のため人のために起こしたのではなく、自分のために起こしたのであるから、これは学生会長として何も知らなかったことになる、と思いました。それでその足で教会に帰り、教会長に「自分はこれこれで何も知らなかったことがわかったから、また帰ってきました」と言いました。教会長は全部聞いてくれた後で、「ふーん、まだ悟ったわけではないけど、いいだろう」と言われました。そんなこんなで、「中心を把握せよ」という箇条は、一生懸命信仰していると、いつとはなしに、わからせていただけるものなのです。

今朝、家内が癇癪を起こしました。私が朝食の時におしめパットに小便を漏らしたからです。ご飯を食べながら小便をするなんて、信じられない、と言うのです。私は神を信じすべてに感謝します、と遂断りました。家内の股関節の痛み、足の親指の巻き爪の痛さ、すべて夫を粗末にしてはいけないというようなみおしえなのですが、なかなかこれは難しい箇条のようです。びっこをひいて歩きながら、私の世話をしてくれるのですから、私はただただ申しわけないと思うしかないのですが、そこが悟れていないものの悲しさです。

 

『常に善悪の岐路に立つ』 十二月十五日

処世訓十八条は、二代様にご解説を頂いた時のことをはっきりと覚えています。我々教校一期生は、二代様にご解説を頂くにあたって、一ヶ月ほど奥津城に駆け足で行って、念願の祖遂断を続けました。その帰り道など、吉田直治君が喘息持ちで、気管支がヒーヒー言うので、我々は「ヒーさん」とあだ名をつけたものでした。ヒーさんは一期生の中ではいちばん先にマスターになり、一番先に若くして亡くなりました。

さて、我々は二代様の処世訓解説を頂くにあたって、右の手のひらと左の手のひらを親指から順番に内側から曲げていって、固くげんこつを作り、それを腰骨の横にぎゅっと押さえつけて、話し手の目を見て聞いておいたら、メモなどとらなくても、一度は忘れていても、必要な時に必ず神様が思い出させてくれる、という話を聞きました。
私は、一番前にいて、両手のこぶしをぎゅっと腰につけて、一生懸命聞いたものです。何時必要になるだろうか、本当に思い出すのだろうか、と思ったものです。
二代様は教主事務室のテーブルの左側にあった小さな黒板に、上を順として、下を逆として、いくら順に向いて動いていても、右をみたり左を見たりして我を出すことがある、という話をされました。常に怒り、急ぎ、憂え、悲しむの感情がでたり、一切を神に依るということを忘れる可能性がある、気をつけなければならないと言われました。

先日、老健きしに行った時、若い介護士さんが「鈴木さん、だいぶ何日にもなりましたから、すべて慣れましたか」と言われました。私は「慣れたことは慣れたけど、何が起こるかわからないから、怖い、怖い」と言いました。彼女は「そうですよね、気づかないことだってありますからね」と言いました。「あなたは気づかないことがある、とわかったことは素晴らしいことだね、えらいーっ」と言いました。「私、偉いなんて言われたことないから、嬉しい」と彼女は言いました。
「PLでは、そのことを『常に善悪の岐路に立つ』と言うのですよ」と話しました。介護士さんは喜んでいたので、私は、今の瞬間は神に依っている、これでよい、と思いました。

「常に善悪の岐路に立つ」という処世訓は、人を脅かすためのものではなく、よき自己表現をさせていただくための暖かい配慮です。そのためには、打てば響くような自然体であらねばならないし、悟る即ち立つ、ということも大切です。処世訓は、何もかもが一つになって「人生は芸術である」ということを立証しているものです。
衆議院の選挙が終わりましたが、民主党の海江田さんが落選して、代表を辞められました。選挙期間中に落ちるのを覚悟して、安倍さんの政治を褒めるところがないかどうか、探してみたらよかったのに、と思います。褒めるところは必ずあるものであり、褒めるべき瞬間に、相手を褒めるということは、よき芸術を鑑賞する芸術生活の基本です。私は自分自身にそう言い聞かせて、トイレに行くまでの往復を転ばぬように歩いています。

 

『悟る即ち立つ』  十二月十六日

立教間近な頃の教会は、殆ど「悟る即ち立つ」で布教されていたようでした。私はよくは知らなかったのですが、「郵便局へ行って魚を買ってこい」と言われた教会詰めが、「はい」と言って郵便局に行ったところ、たまたま通りがかった魚屋さんがいて、魚を買ってきた、という話を聞いたことがあります。教会長の第一感に従えば、お蔭を頂くというお話です。当時は教会長は、おしえおや様の遂断を信じて、第一感に生きる、教会詰めも教会長の第一感を信じて布教するということでした。静かに考えてみますと、気づいた時にはすでに立っているような人、ふと気づいたらすぐする人というのは、仕事に恵まれます。

スポーツの世界でも、サッカーの得点王や野球の打撃王などは第一感でボールを蹴り、第一感でバットを振っていると思います。ボールが止まるまでボールを見る練習をして、杉下投手のフォークボールを打った川上哲二選手、ふと気づいたことをすぐするには、あたりの人がびっくりするような練習がありました。長年、湯浅祖様の秘書の仕事をしていたI先生は祖さまのお出かけに際して、同行するのに、「今日は背広を着ていかなくてよいでしょうか」とお聞きしたところ「どうしてだ」と聞かれて、「背広は着なくてよいような気がしたのです」とお答えしたら、「それは上着を着ていくのが第一感だ」と教えられたのだそうです。上着を着ていかなければという第一感と、上着を着なくてよいという第一感と取り違えるのは、逆さじゃないかと、恥ずかしかったそうです。

その湯浅祖さまが学生時代の頃のことです。本部の男子トイレに入って出てきたところ、先代教祖とすれ違ったそうです。実は男子トイレの尿が落ちるところに、草履が小便まみれになって鼻緒が切れているのを見つけたのだそうです。湯浅先生は、自分が気づいたのだから自分がすべきだと思ったのだそうですが、そのまま出たところで、教祖様とすれ違ったのです。すれ違いでトイレに入られた初代教祖様は、出てくる時、汚れた草履を持って「竜起、お前はわしより先に入ったのだから、この草履が切れているのを見つけただろう」と言われました。「日頃気づいた人の仕事だと教えているのに、まだわからんか」と言われたのです。竜起先生は恐縮して「その草履、私が直します」と両手を差し出したところ、「まだ、わからんか。見つけたものの仕事だ、この草履はわしが見つけたのだからわしが直す」と言って、ご自分で直されたのだそうです。

湯浅先生は、ひとのみち事件で一時教団から去られ、PL教団になってから再び戻られて、二代教祖様にお仕えされましたが、その時、朝から晩まで、いつ見ても、二代様は客観の境地で生きておられると拝見したので、「おしえおや様はいつでも客観の境地におられるように思いますが、どうしたらそのように客観の境地でおれるのですか」と聞きました。二代様は側にあったベゴニアの花を指さして、「このベゴニアを歌に詠む時、君は十の感動を十に歌うだろう。三や四や十五に歌ったりしないだろう。そのように、ありのまま、十の感動は十に表現するのだ」と言われたのだそうです。湯浅祖さまは当時短芸の作品一でしたから、「自分は短歌ではその境地がわかっていますか」とお尋ねしたところ、「わかっていると言える」と言われたので、自分の側にもう一人自分がいて、じっと客観している、と言う具合に自分を表現したところ、二代様は、「その方法ではダメだ、その方法だと、じぶんは客観していると主観していることになる」と言われました。湯浅祖さまは、客観していると主観しているにすぎない、自分の在り方ではだめだ、自分の存在そのままが客観することにならなければならない、と工夫されたのだそうです。自分はこの質問を十回以上師匠に尋ね、師匠はその質問にまったく同じ答えを十回された、と私に教えてくれたことがありました。
まだまだ続きますが、優れた人の行いをみれば、この道は神に通じる道であることは如実に分かるはずです。明日続きを書きます。

 

『悟る即ち立つ 補遺』  十二月十七日

昨日、家内が「この辺でやめましょう」と、「悟る即ち立つ」で言いましたので、その「悟る即ち立つ」を私も頂いて、やめることにしました。「悟る即ち立つ」ということは、妻や他人の「悟る即ち立つ」を神の啓示と頂いて、自分の「悟る即ち立つ」にしてもいいのです。私は、昨日やめて、自己表現の二月号のO先生の十九条の解説を読みました。完璧で、これ以上付け加えることは何もないと思いました。目の前のゴミを拾うことから、ブラジルに行って錬成をするという、世界平和につながることまで、小さなことから大きなことまで、ご自分のなさったことを具体的例として、解説してくださっていて、これでいいや、と思いました。
安倍晋三さんが、国会を解散すると「悟る即ちたつ」で、解散して、民主党の海江田さんが落選して代表を辞任し、みんなの党の渡辺さんが落選し、泣いて記者会見をしたりしていました。次世代の党の石原慎太郎さんも政治家を引退し、思い残すことは何もないと言っていました。石原さんは文春の「戦後70年記念特大号」新年号で、いろいろ書いた後最後に、「年をとりすぎた、政治家経験をした大小説を書きたいと思ったが、もう間に合わない、ぼくはもうすぐ死ぬよ」と言っていました。寂しいことです。
私は石原さんの「我が人生の時の時」という随筆を一番よい文章だと思っていましたが、最高位当選ではなくて、落選した時こそ「悟る即ち立つ」本当のチャンスだと思います。慎太郎さんが「年をとりすぎた」と言うなら、私はまだ六歳も若いのだから、今のうちにPL処世訓の中で、実行律を内容律とする「悟る即ち立つ」を、一呼吸一呼吸、刻一刻実行しなければならないと思います。

 

『物心両全の境に生きよ』 十二月十八日

この世の中は、物と心で満ちあふれているのですから、両全とは、二つとも失わずに全うすることですが、「春のめだか 雛の足あと 山椒の実 それらのものの一つか我が子」という短歌がありますが、中城ふみ子さんの「乳房喪失」という歌集にある歌です。我が子が可愛いと思った、たまらなく可愛いと思った、それをどう表現しょうかと思って凝視しているうちに、同じように可愛いものを並べている自分に気がつかれたのでしょう。
「春のめだか 雛の足あと 山椒の実 それらのものの 一つか我が子」という短歌は、簡単で覚えやすく、すぐれた作品というべきです。

私は一度読んで覚えて、ものの代表として言葉を捉え、ものと心が両全である境地を、この短歌の上に感じます。言葉に誠を込めたら、その言葉は生きて働く、教師に短歌をやらせよ、と初代様がおっしゃった、「短歌は紙と鉛筆さえあれば容易に出来るから」とおっしゃったとお聞きしました。言葉のみならず、物の代表であるお金にも、人間は誠を込めることが出来ます。ロックフェラーなどのような金持ちになりますと、無駄遣いはしないという調べが、金遣いの上に現れるそうです。私は、お金だけは苦手で、苦しんできましたから、 五カフとか宝生とかいう金銭芸術に触れたい気持ちもありますが、それは第一線の先生方にお任せすべきだと思います。

今、総合事務所から帰ってきたら、家内が「これが今日きた圧力鍋ですよ」と見せてくれました。義弟が圧力釜で寝かせ玄米を炊いたら、体にいいし、十日間いつも暖かいご飯が食べられる、これはいいよ」と勧めてくれたのだそうです。それで早速注文して、圧力鍋が届いたのです。私は圧力鍋を手に持ってみて、これはいいものだ、と思いました。
物を欲しがったり、欲張ったりする心は出さぬ、と毎日みおしえのお誓いをしていますが、消費することは好きですから、圧力鍋を買って、寝かせ玄米を食べるということは賛成です。いい調べがあるじゃないか、と思いました。自分が欲張ったわけではなく、神業が動いて、それに乗ることが出来たのは嬉しいことです。
日本には「足るを知る」という思想があって、仏教の悟りの一種ですが、個人的に実験してみれば、「足るを知る」ということの大切さがよくわかります。「物心両全の道」はそれとは違い、物心両全の妙境というものがあって、妙境を味わえということです。遠慮しないで味わえということです。

私は、BSテレビの古いドラマ「長七郎の江戸日記」を毎日見ていますが、物心両全の境に生きよと思って真剣に見ると、日増しに味わいが深くなります。一歳の孫が来るたびに見せられる「いないいないばあ」も、何を見ていても必ず変えられてしまいますので、こちらはやせ我慢で二時間も三時間も真剣に見ています。
何事も物心両全の境に生きよ、と思って真剣に味わうと妙境が味わえるのは有難いことです。

 

『真の自由に生きよ』  十二月十九日

だいぶ昔の話です。その当時の財界の重鎮、四、五人が海外での経済会議を終えて、船で日本へ帰ってきて、最後の夜を船で過ごし、朝甲板に出てみたところ、折しも太平洋の水平線に真っ赤な太陽が矍鑠と上がってきたところでした。財界の重鎮らは、手をあげて、「これが本当のパーフェクトリバティだな」と言ったそうです。そこにいた人は皆「そうだ、そうだ」と満足したそうですが、「真の自由に生きよ」ということは、ちょっと違うでしょう。
その席にPL人がいたら、「これが真の自由だと言うならば、家に帰ってからの、あなたたち一人一人の生活はなんだ、ということになります。そちらが真の自由でなければいけないのです。」と言うでしょう。

私は、部屋の中でトイレに行くまでの往復を「祖遂断、祖遂断」と言って、真の自由は祖遂断三昧にあると思っておりました。
ところが、今朝午前三時に時間を勘違いして、起きようと思って、トイレに行き、最近は一度も倒れていなかったのに、トイレの前で倒れました。立ち上がることができず、家内を呼んでも、家内にもどうすることもできませんでした。隣のI先生に助けをもとめ、来ていただいて、やっと立ち上がることができました。幸い骨折はしていませんでしたが、人騒がせなことでした。
真の自由は、普通に歩けたら真の自由です。その上、私の好きなブドウジュースをコップに一杯でも飲んだら、ああ、これが真の自由だ、と言いたくなります。真の自由は、心癖からの開放にある、という説もありますが、強情に生きるところに、真の自由を感じている人もいます。
長七郎江戸日記の主役の里見浩太朗さんは、毎回十人以上も人を殺していますが、あるとき、人に切られる役になり、「自分は人を切る切り方は知っているが、一度も切られたことがないので、切られ方は知らない、どうか教えてください」と切られ役の人に頭を下げて頼んだそうです。里見浩太朗さんはこの時、真の自由を生きたと言えます。自分が芸術をしたからです。
「真の自由に生きよ」とは「人生は芸術である、楽しかるべきである」という真理に照らして、退屈しないということでもあります。いくら障害があっても、創意工夫して、退屈しなければ、それもパロディとしての「真の自由に生きよ」ということにはなると思います。
以上で、自分のための処世訓解説を終わります。
次回からは、アラカルトを書きたいと思っています。

 

『PL処世訓アラカルト』  十二月十二日

PL処世訓一条から二十一条まで、解説と言えば大げさですが、わがままな感想を書いてみたいと思いました。自分のための解説です。この度、一条から二十一条まで全部終わって、かすかながら達成感の喜びがあります。
同時に、ラマチャンドランの「脳の天使」を読み進めてきました。第七章に「美と脳」という章があり、「芸術とは真実を悟らせるためのウソである」ーパブロ・ピカソとあります。ずるいことをして、途中を読んでみたのですが、興味をぐいぐいと惹かれて、面白くてたまりません。

これは処世訓の感想が一応終わったからだなあと思いました。処世訓に「終始一貫の勧め」がないのは何故だろうと思いました。「長幼の序を尊ぶ」も欲しいところです。兄弟げんかで困っている人もいますから。「一切は進歩発展する」の箇条に含まれてしまうのだと思いました。実践的には「終始一貫せよ」と思っておりますし、最近は「終始一貫症候群」などと、病気のように言われていますから、進歩発展して真理も変わったかと思います。
「長幼の序」は、一人っ子を持って居る先生には解説はしにくいものです。

昨日、全日本の高校生の駅伝大会がありました。女子は大阪薫英女学校が、男子は広島の世羅高校が優勝しました。野球でもサッカーでもない、ただ走るだけの競技にどうしてこんなに気持ちを惹かれるのでしょうか。
私が毎日しているリハビリは、作業療法士の先生によれば、一人自分が担当している人で、ジョギングをし始めた人がいる、ということでした。走ることの完成した境地を、これでもか、これでもか、と見せていただきました。文句なしに美しいではありませんか。見ていて、退屈しないではありませんか。これもPL処世訓について、一応語り終わった喜びだと思いました。芸術が分かるようになっているのです。芸術とは、真実を悟らせるためのウソである、というのは、興味深い提言です。

 

『PL処世訓アラカルト 二』 十二月二十五日

教団初期の頃、「人生は芸術である」というと、「芸術とはそんなに簡単なものではない、深遠な奥深いものである、何も知らぬアプレ宗教が、人生は芸術である、などと言って恥をかくにちがいない」と言われたものです。ところが、社会の方が早く芸術化されて、誰も彼もが「芸術である」と言いだし、中には相当な心境で、人生芸術を楽しむ人が現れました。
喜劇役者の伊東四朗さんが言うには、「喜劇役者というものは、歌手よりもうまく歌い、ダンサーよりも上手に踊り、役者よりも上手に台詞がいえなければいけない、と教育を受けたものだ」と、戦後70年を記念する文春で言っています。芸を磨いているうちに、「人生は芸術である」ことがわかったに違いありません。

今日、家内はスマップの後援会に入っていて、抽選に当たったので、娘や孫たちとスマップのコンサートに行きます。私は一人で二時から八時ころまで留守番をします。転ばないか心配です。ところで、先日、スマップの「スマスマ」という番組を見ていたところ、料理の腕を競うところから始まり、料理も一流だし、先日は宝塚の人たちと競演して、正面の大階段の降り方やダンスのステップの踏み方など、しごかれていました。シンフォニーの指揮者に挑戦していたのも見ました。番組の中で鍛えられて、色々な芸術を身につけ、しかも五人いますので、競い合って、それぞれの個人が、それぞれの個性を磨いています。

グループではありませんが、先日は五木ひろしが若いころの苦労話をしていましたが、どん底の生活で、アパートの家賃が払えず、福井の郷里に逃げ帰って、正月が終わっても帰らず、なぜ帰らないか白状して、お母さんが近所から借りて家賃を持って帰った、という話をしていました。
芸名の五木ひろしは、直木賞作家の山口洋子さんが、文芸仲間の五木寛之と親しく、五木を頂いて、五木ひろしとつけたのだそうです。そんなこんなで、思い掛けない出会いが、タレントたちの個性を磨かしめることになり、芸術生活を楽しんでいるのです。
私は、初めは、スマップも五木ひろしも嫌いでしたが、家内が五木ひろしのフアン、スマップのフアンですので、真面目に見ているうちに、良さがわかってきました。

来年の年賀状に、短歌を一首つけたらどうですか、と言われて、即興で「落ち込むなら落ち込んどけと妻の言う落ち込み人生吾は生きゆく」と作りました。落ち込み人生とは何か、解明する必要があります。落ち込み人生は、颯爽と「鶏頭となるとも牛尾となるなかれ」という格言とは反対に、牛肉はお尻の肉が一番うまいんだよ、と自分では物事を決めず、他人の決めた人生を神業のまにまに生きる人生です。今日は、孫たちがミラーニューロンを働かして、どういう学習をしてくるかが楽しみです。家内も数日は股関節の痛みを忘れることでしょう。

 

『PL処世訓アラカルト』 十二月二十九日

PL小学校の校長をしていた頃、六年生の宗教の授業に行ったことがあります。あるSC生の一人が「はい」と手をあげて「質問があります」と言いました。「怒り急ぐのが悪いことはよくわかりますが、憂いてはいけないのは何故ですか、わかりません」という質問でした。私は頭から足の先まで、全身これ心配症の人間ですから、憂えない解説をするのは不可能です、今でも不可能です。
しかし、PL処世訓の感想は書き終わりましたし、静かに反省してみると、私には「ハハハ」と愉快に楽しく笑うゆとりとか、嬉しくてたまらない、という気持ちは殆ど湧きません。「憂えてなんかいたら、この世を楽しむ暇がなくなるから憂えてはいけない」と言えばよかったなあと、今頃思います。しかし今でも、「憂えこそわが命」とばかり、人生の殆どを憂えて暮らしています。
今から娘が散髪に連れて行ってくれるのですが、「途中で小便がもれたらどうしょう、小便が漏れて、床屋さんの椅子が濡れたら、弁償をしなければならない、どうしょう」などと思うのです。今までそういうことは一度もないのですが、一応は憂えます。
膀胱癌になったら、血の小便が出て痛くて苦しいそうな、三浦綾子の旦那さんかそんな話をテレビでしていたのですが、私がそうなったらどうしょう、と心配するのです。
肺癌になったらどうしょう、大腸癌になったらどうしょう、顔に帯状疱疹がでたら目がつぶれる、その上パーキンソン病にもなって、神様は私をひいきにしているのだろうか、と思った人もいたそうです。

家内はおせち料理を四人分頼んだ、と言っているけど、子供達がみな来たら足りないなあ、どうしょう、家内が整骨院に行ったり、お風呂に行ったり、でかける度に、自動車事故にならなければいいが、と心配します。家内が死んだら次の人をもらう、というようにはならないのです。
憂えると楽しむ暇がない、というのは、我ながらうまいこと考えたなあと思います。でもやっぱり心配はつきません。死ぬまで心配とつきあうことになるのでしょう。
思えば、父も母も心配ばかりしていました。一切は鏡ですから、憂えれば、憂える結果が生まれます。今、出がけに娘が、家の鍵をかけるのを忘れたので、もう一度マンションに上がると電話してきました。娘は私を散髪につれて行ってから、レッスンがあるのです。間に合わないと言っています。心配すると、こういうことにもなるのです。

 

『PL処世訓、アラカルト』 十二月三十日

私は、部署の仕事の合間に、家内が私が打った文章を添削、校正してくれていますので、その間に読書をすることを許されています。「世のため人のため世界平和のために、PL流の読書をさせていただきます」とお誓いして読書をしています。
今日は年末ですが、一日に発売予定の「黙」一月号が届きましたので、初めの部分だけ読んでみました。特集は「百年後の日本を考えて対応しよう」ということらしく思いました。はじめに「独創は、狂けんにあり」という題で、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんとの対談がありました。
先日、小林秀雄対話集を家内が買ってくれたので、読んだのですが、小林秀雄さんと湯川英樹さんとの対談があって、むずかしいや、と思ったのですが、井原甲二さんと中村修二さんの対談はわかりやすいものでした。しかし、青色LEDの開発でノーベル賞を受賞した理由は、百年後の日本を大きく変えることが予測されていました。

教団の百年後を静かに考えてみますと、我々教校一期生は、誰も地球上には残っていないでしょうし、お互いの孫や子供たちはどういう気持ちで生きているのかと思います。
「黙」という本は「芸術こそ日本の再生と平和のために、寄与できるという共通の信念のもと、日本の国土の中心に背骨となる三角形を成す三つの拠点から、ともに芸術立国運動を展開しています」とうたっています。
2010年7月には、東京の明治神宮外苑に、東北芸術工科大学、東京造形芸術大学の東京の拠点となる外苑キャンパスを開設したそうです。
「人生は芸術である」という本教を抜きにして、芸術立国を宣言してもしようがないとは思いますが、今日、年内にきた年賀状の中に教校一期生のI先生のものがあり、三月で退職するという知らせがありました。百年後には、PL処世訓を身につけたPL人が、その辺をウヨウヨしているに違いないと思いますが、百年後のためにしておかなければならないことが、いろいろとあるにちがいありません。

文藝春秋の新年号は、戦後七十年記念特大号です。三島由紀夫のクーデターもの切腹事件が取り上げられていました。三島由紀夫の事件は、当時小学生であったTさんに二代さまが「三島由紀夫事件をどう思う?」と尋ねたところ、「三島由紀夫は検算を怠ったのだと思います」というご返事だったそうです。
三島由紀夫と森田さんの切腹の介錯をした人がまだ生きていて、その人の現在の心境をインタビューした記事がありました。死ねずに生き残ってしまった後悔がめんめんと記されていました。戦後七十年経つと、あらゆることが検算などされていなかったことがよくわかります。
ある先輩からの年賀状には、今年からいよいよ体制を整えて布教します、という意欲が語られていました。教師生活を完結させた同志の心を思い、彼はエリートだったからなあ、と長い間ご苦労様と、言ってあげたい気持ちがしています。